8月26日@内モンゴル

8月26日
午前中は雨。
植林地への道はぬかるんで通れないだろう。
晴耕雨読を決め込む。

昨日見てきた大理石採掘現場についていろいろな考えが頭をめぐる。
ある意味で典型的な開発問題の縮図だといえる。
こんな小規模な開発でも、地元の村には大きな負担がかかっている。
何十トンもの石材を運ぶ巨大なトラックで村と町をつなぐ道路はボロボロだ(バイクで通るのもかなりしんどい)。
 ←トラックのタイヤがえぐった跡を雨水が削る
石を切り出すために使用するダイナマイトの爆発音はうるさいだけでは済まない。
家畜が暴れたり、ひどい時には振動で窓ガラスが割れたりもする。
掘り出された残土と石は道路わきに山積みだ。
今にも崩れそうで危険なことこの上ない。

採掘現場の従業員たちが捨てていくゴミは村の周辺を汚していく(まだ有害廃棄物がないだけましだが)。
まさに開発がもたらす“公害”オンパレードだ。
大きな生活上の負担を強いられながらも、村にはほとんどメリットがない。
そもそも地下資源は誰のものなのだろう?
少なくとも村には利益の分配はない。
わずかに採掘現場での賃金労働の機会が村民に与えられてはいる。
しかし高齢者や女性は働けないので、ごく一部の人間(村で2〜3名だけ)にしか、その門戸は開かれていない。
それも、都市部の労働者の半分にも満たないほどの低賃金だ。
それでも、現金収入の少ない村では貴重な収入源になる。
開発は未来永劫続くわけではない。
終了した後に残される問題もまた資源開発にはつきものだといえる。
ここでは、この問題も既に顕在化しつつある。
この春で石の採掘自体はすでに終了した。
後は採掘した石材を運び出すだけになっている。
来年か再来年には完全撤退だ。
ほんのわずかの現金収入は閉ざされ、後に残るのは穴ぼこだらけの荒地、ボロボロの道路、危険な残土と屑石の山だけだ。

こういった問題は何も資源開発だけに起こるのではない。
来年から緑化をしたいと考えているシリンゴル草原という場所では、工業開発による草原の荒廃が大きな問題になっている。
こういった問題と向き合うことも、我々の仕事では避けられない。

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