8月2日@内モンゴル

8月2日
21:50 フフホト空港着。
空気が涼しくて気持ちよい。
チャオアール(うちのスタッフ)が迎えに来てくれていた。
車に乗り込むなり、
「実は女の子が産まれた」
「ん? 何言ったの?」
「だから、女の子が産まれた」
「ん? だから何て言った…。えーっ!」
って、もう42歳でしょっ!
今年から長男が高校生でしょっ!!
っていうか、4月に何も言ってなかったやん!!!
4月にチャオアール家で飯食った時に奥さん見ても気づかなかったこっちもこっちやけど…。
ひたすらビックリ。
何はともあれ、おめでとう!

ただ、めでたいと言ってばかりもいられない。
長男の高校でお金かかる上に赤ちゃんの粉ミルク代もばかにならないみたい。
何よりも、一人っ子政策の罰金が5万元!とのこと。日本円で約60万円、年収2年分以上だ。
相当厳しい状況なのは明らかだ。
←チャオアール・パパ
そんなことを考えていると、チャオアールと知り合った頃のことが色々と浮かんできた。
18年前、初めて会った時。言葉も通じないのに一人でチャオアールの家を訪ね一緒に飲んだこと。
二人でビール2ケース飲んで完全に記憶を失ったけど、楽しかったことだけ覚えている。
翌年から一緒に仕事をするようになり、しばらくしてチャオクァン(長男)が産まれる。

1997年、新しい場所で仕事を始める時。無理を承知で「一緒に来てくれ」とお願いしたら、二つ返事で来てくれたこと。
結婚したばかりのうちの奥さんとチャオアール一家、今は日本にいるモンゴル族スタッフ(通称しんちゃん)の計6名で新天地での「他民族家族」共同生活が始まる。2歳のチャオクァンの面倒をみるのがうちの奥さんの担当。
裸電球一つで、水道もない、トイレも風呂もない、ないない尽くしの生活だったが、ひたすら楽しい毎日だった。この時の生活が、今の取り組みの考え方の基本になっている。

うちに子供が産まれて、チャオクァンが小学校に通うようになり、しんちゃんが日本に留学(その後も日本で仕事中)してからは、チャオアールと二人で単身赴任生活になってしまった。それでも、ずっと一緒に仕事をして、飯食って、同じ所に住んで。弟みたいなものだ。

「姪っ子」の誕生を心から嬉しく思う。
おじさんもお父さんと一緒に頑張るからね。

内モンゴル初日にして、いいことだらけのスタートです。

姪っ子誕生を祝して、道端の屋台で乾杯。

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